脚ちぎれる
脚の筋肉痛がヤベーーーーーーーもう1歩も歩きたくない。
昨日ね、ランニングをしたんですよ。
いつ暴れライブが来てもいいように体力つけねーとな!的な。
あとちょっと体重増えたし。
4kmぐらい走った。
嘘、うち1.5kmぐらいは歩いてた。
自粛期間中、スクワットはしてたしそんな筋肉痛にはならんやろ!って思ってたけどバッチリ筋肉痛だ。
使う筋肉が違うのかスクワットの回数がショボ過ぎたのか。一応100回はやってたぞ。
学校の体育でやる持久走は死ぬほど嫌いやけど、自分でやるランニングはそんなに苦ではない。
体育のは競わされてる感じが嫌だし、チンタラ走ってると最後見世物になるので嫌だ。
その分ランニングは自分の好きな音楽聴きながら自分のペースで走ってても何も言われないし、気持ちスッキリするし、汗かいた後のシャワーが気持ちいいので。
やりたいかやりなくないかで言えば間違いなくやりたくないけど。
結局この世にはやりたくないこと嫌なことが無数にあって、それらを全くやらないワケにはいかなくて、その中で天秤にかけてやっていくしかないんですよね。
「運動不足・不健康の醜い中年になる」
「ライブ途中でバテて最後まで楽しめない」
「間食や酒を控える」
「運動する」
全部嫌なことには変わりないけど、全部天秤にかけた時に運動が1番軽かったので………
何かそんな感じの話。
お恥ずかしながら私みつあみ、これまで約27年生きてきて趣味以外のことで「目標に向かって頑張る」ということをした記憶がありません。
趣味の内ですら若干怪しい。
宿題頑張らないし、テスト勉強頑張らないし、受験勉強頑張らないし、卒業研究頑張らないし、就活頑張らないし、仕事頑張らない。
そうやって生きてきた。
でも何ひとつ努力しないで生きてたらきっと今みたいな社会人にはなってなくて、ゴミヒキニートになってるハズ。
「ゴミヒキニートになる」
これが1番嫌なことだったからそうならないように最低限やることはやった。
僕は小学校・中学校で軽度のいじめを受けていましたが、いじめを受けることより、不登校になったり、いじめを解決しようとして結果親に心配をかけることの方が嫌だったからずっと我慢してた。
受験勉強はしたくなかったけど、それで頭の悪い学校に行っていじめっ子と同じになることの方が嫌だったから最低限の勉強はした。
別にやりたいことなんてなかったけど、大学に行ってまで全く興味のないことを勉強したり高卒で働くことの方が嫌だったから大学に進学した。
でも受験勉強はしたくなかったから自分の学力で行ける大学にした。
相変わらずやりたいことなんてなかったけど、フリーターになったり、ブラック社畜として働いたり、全く興味のない仕事をすることの方が嫌だったから入る会社は選んだ。
でも就活はしたくなかったから2社しか受けてない。
そうやって決めた仕事は、上京してライブにいっぱい行きたいという「やりたいこと」の前ではなんの価値もないので、全く違う仕事をすることになっても東京転勤の話を受けた。
僕は基本的にはずっとやりたくないこと同士を天秤にかけて、よりマシな方へ身を委ねて生きてきた。
そしてこれからも、がむしゃらに働いて立身出世しようなんてことは全くない。
「僕の人生は平々凡々である」という決定事項があってそれを崩さないように、そしてやりたくないことを出来る限り避けて生きていくのだ。
例えばさ、
「今から1週間、困っている人を助ける(声をかけるだけでも可)たびに1000円差し上げます!」
っていうのと
「1万円差し上げます。今から1週間、困っている人を見て見ぬふりをするたびに1000円引かれます!」
っていうのだったらどっちがいい?
前者は世のため人の為になって、しかも頑張れば頑張るだけお金がもらえる。
でもどれだけ頑張って困っている人を探してもそんな人、1人もいないかもしれない。
後者は困ってる人に出くわさなければ何もしなくても1万円もらえる。1万円以上はもらえないけど。
最悪ずっと家に引きこもってればいい。世のためにも人の為にもならない。
僕は絶対に後者なので。
「自分の人生は平々凡々である」という何もなければ達成できるであろう人生の目的が、悪い方にならないように現状維持する方が楽だから。
だから夢を持ってそれに向かって頑張れる人は凄いなーって思うよ。
ただそれだけの話。
別に誰かを諭したいわけでもない。
一昨日に記事書いた後に思っただけのやつ。