インターネットを介して僕の世界は拡大と縮小を繰り返す

7月6日、27歳になっちゃったねぇ。

25、26ぐらいは"20代半ば"と言えるけど27は半ばではねぇなあ。

 

 

まー、ありがてぇことに50人弱の人におめでとうのリプライを貰って、「大変ありがたいことだなぁ」と思いながら用途がよくわからん絵文字をひたすら送りつけていたわけだけれど。

 

 

お察しの通り私は友達が多くないのでTwitterに住み着くまでそんな数のおめでとうを浴びせられた事なんてないんだよな。

 

今年、フォロワー以外で誕生日を祝ってくれたのは母親のみ。陰キャバレンタインデーの如し。

 

 

それから考えるとTwitterで随分と交友関係広がったなぁと思う。

年齢も住んでるところも色々だしね。

 

 

対照的にリア友、存在しねぇなって思う。

単身上京してる人間なので当然昔からの友人と遊ぶなんてことはないし。

 

ライブとか関係なく遊んだりするフォロワーに関しては最早リア友との境界線は曖昧だと思うが。

 

 

社会人になるともう、積極的に求めない限り新しい友達とか出来んのはこの世の理で

僕が積極的に友達欲しいって思わないのはきっとTwitterがあって、そこに友達と呼んで差し支えないフォロワーがいるからで

 

 

インターネットがあるから交友関係が広がって、インターネットがあるから交友関係が狭まっているなぁと思う

 

 

このご時世にインターネットとリアルを切り離して考えることがもうナンセンスですが

 

 

 

 

こう、なんか物事を考える時に10年前は、というのが非常に便利なので10年前の話をします。

高校2年生が10年前であるという事実にもう心が折れそうです。

 

僕が高校生の頃はまだガラケーが主流で、スマホに関しては初代iPhone持ってる人は持ってるみたいな感じだったかな。

 

現代、娯楽が多いし身近すぎる。 - ミラーボールが煌めく部屋の片隅で

こん時も何かそんなことを書いたな。

 

とにかく今ほどインターネットは身近なものではなかった。

 

 

SNSという観点で語るのであれば、

mixiとかモバゲー、デコログ全盛期。

 

生み出した黒歴史は数知れず。

この話はよくない。

 

 

まあ、その、友達が学校外で何してるかなんて知る由もなくて。

知らなければそれに何かを思うこともなくて。

 

 

今は、こう、唯一の友達であるフォロワーの日常がTwitter上で観測できるじゃない。

今何にハマってて、ちょっと悩み事があって、こんな事をして遊んで………

 

住んでる場所が遠く離れていても、別段仲がいいわけでもなくても、その人のことを知った気になれる。

きっと学生時代、挨拶も交わさなかったようなクラスメイトの事より、何百kmも離れたところに住んでいるフォロワーの事の方がよく知っている。

 

でも知れば知るほど、その物理的距離がより鮮明になる。近くて遠いというヤツ。

 

 

そんな感じの話で、

 

インターネットを通じて、世界がどれだけ広いかを知ることが出来る。

行ってみたいお店、会いたい人、綺麗な景色、刺激的な体験…………

 

でもそれと同時に、実際に行って、会って、見て、体験出来るものは1割にも満たない事を知る。

自分の世界の狭さを実感する。

 

 

 

まあだからと言って、僕は金を貯めて自分探しの旅に出るような人間でもない。

 

無気力にインターネットに浸って、世界を知った気になって、惰性に毎日を過ごすだけだ。